「+縄+想い 美帆」のタイトルを今日で38回Twitterに掲載した。サブタイトルがあり、今回は「豊穣を遊ぶ」である。掲載を終えてよく考えると日本語だろうかと疑問だ、これが俺の文章は理解しがたいと云われる原因か。俺としては豊穣の裡にあって縄の拘束を遊ぶという意味であるが、タイトルにするために短いフレーズにすると意味不明な言語を使ってしまう。昨日は二人は何故何のために二人での撮影を続けているのかとはからずも同時に疑問がおこり話し合うことになったー今年で5年ちかく撮り続けているー
(2)二人の密室での縛り撮影。モデルと撮影者の距離が理性的がいいか、より距離が近いが(主観的)いいかは、そのときどきの出来上がりで判断するのがいい。とにかく我らの撮影は二人しかいない。ノルマもないから撮れる時に撮るが基本だが、撮影の翌日にTwitterで画像を掲載するようにと美帆から責められる、俺としては出来のいいものはキープしたいが-後の美帆の写真集として出版するためにー納得のいかない写真を上げる訳にもいかない、二番の出来の画像を載せるのではあるが、閲覧者はそれで充分満たされるらしく美帆の写真集を出しても売れ行きはぱっとしない。また余談。とにかく美帆はその時々に自分で創るイメージで被写体になろうとするから安易に「苦しい顔、顔をゆがめろ」と叫んでも効果はない。苦痛に歪んだ顔、羞恥に震える顔は二人の間ではないが、縄を拘束を真に求める女の姿は見られると思う。二人の密室の空間は密度の高いエネルギーに満ちている、ライトを倒して電球を壊して暗闇のベットから転げ落ちたり、畳を美帆の潮でおねしょの跡のように濡らしたり、前立腺肥大にある俺は極度の頻尿である、それが目の前のシーンに見惚れて撮影を中断出来ずタイルの床に漏らしたり、と異常な空間での撮影もある
杉浦
プライベートで撮る意味を時々考えています。私としては、たくさんの目に触れて何か感じたかどうかを聞きたいです。私達二人の写真には派手な縛りはありません。ショー等を見慣れている方々にとっては吊りもなく、ツマラナイと感じるでしょう。でも、そのような写真の中には二人の心が入っていることがあります。それを感じてくれるだけでいいんです。
週に1回のペースで、プライベート撮影を行っています。喧嘩は多いですが、お互いの魂・心のぶつかり合いや、融合の時間なんです。これからの展開を楽しみにしてみます。
私は縄との表現から離れることができないのですから・・・
美帆
モデルさんもサイクルが早くて、旬の期間中は縄が好き、縛られるのが好きとの言葉はあれど、実際はそんな発言とは裏腹に、理由は様々でしょうが、現実には2~3年で見かけなくなるのがあたりまえの世界。
個人的に気に入って、この人はさらに年齢を重ねての緊縛姿を見てみたいと思っていても、なかなか叶わないのが実際のところ。
5年は本当によく続いているほうだと思います。
最初見た時から、おふたりの、魂と心がぶつかり合い、融合する瞬間の密度の高いエネルギーの写真の数々に、心と下半身を直撃され、瞬時に魅了された身としては、これからの展開にも大いに期待しています。