私は、ムシロの上に横になったりして写真を撮られていました。が突然、座っていた私の背後にムシロが立てかけられました。分かりやすくいえば、ムシロの屏風の背にして座っているだけでした。
自分の後ろにムシロがあるのだ・・・と認識した瞬間に白い砂の上にしゃがりこんでいる私に気づいたんです。私の目の前には砂浜と役人様のような人、左を向くと海と海面に浮かぶ舟のような物体が見えました。海を見ていると舟から円柱の荷物のようなモノが海中へと放り込まれているんです。その荷物は、ついさっきまで一緒に必死に逃げながら十字をきっていた仲間だと、すぐわかりました。その時に、大きな落胆を感じました。「どんなにお祈りしても救ってくれるモノはない」と。
私の左隣にも同志が座っている。右隣にも座っている。海に近い左側の同志たちが一人ずつ巻かれては消えていく。私が巻かれるまではまだ時間があり先立つ者たちを見送るしかできなかった。涙も鼻水も涎も流れていても構わない。ただ声を出してはいけないのでは、と感じた。そんなことをしたら、目立ってしまう。お役人様は私の所へ来て、私を予定より早く巻いてしまうのではないかと考えたら、顔がどんなに不細工になっても決して声を出さぬように決めた。私は、グチャグチャの顔で海を見ていた。屏風の前に座れるなんてあるはずもない、私はこのゴザと共に沈むのだ。と諦めたりもしたけど顔の穴からは液体が流れ出る・・・止まらない。いつまで見送るのか、私はいつなのか・・・
「こっちに戻ってこい」と何度か聞こえました。どのタイミングで「今、写真を撮っていたんだ」と現実が理解できたのか覚えていませんが、杉浦先生が私を正気にさせてくれました。「何処に行っていた?」と聞かれ、海としか答えられませんでした。
そう、私は改宗しないキリシタンを刑に処す場に旅していたようです。でも、ここまで悲しみの場に行くとは想像していなかったです。キリシタンへの拷問、「簀巻き」の場へムシロが導いてくれたかのようです。きっとムシロもないところでは、このような世界には行けないしイメージもできないと思います。ある意味貴重な体験でした。顔も髪もグチャグチャのベタベタ・・・でしたが。信じることは何なのだろう・・・と考えてしまいました。
私は縄をするときは、ここまではいかなくても物語がほしいです。なぜ、縄がかかっているのかを感じながらの縄は格別なんです。
美帆
先生からメッセージをいただきましたよ。書けるようになってよかったですね。スクリーンに映し出されるように、情景が目の前に鮮やかに浮かび上がってきます。すらすらと流れるような文章、入院中に文章の修行をして来ましたね。
菅野さん、コメントありがとうございました。
もっと修行をしてくればよかったです。これは、書こうと思って書いたのではなくて、どうにかして伝えたくて無心に書きました。
これからも、どうかよろしくお願いします。
美帆
まずは連載?再開おめでとうございます。
ムシロ1枚だけで、いともたやすく妄想の世界に行けてしまったとは、病気療養を経て、考える以上に相当縄に焦がれていたのでしょうか。
面白く読ませていただきました。
私の好きなアメリカのTV映画に「ミステリーゾーン」というシリーズがあり、その中に、現実逃避して想像の世界に行ってしまい、その世界に恋焦がれるあまり戻ってこれなくなりそうになる、という話がありますが、それに匹敵するイメージ喚起力の面白さを感じます。
キャリアさん、いつもありがとうございます。入院中は縄のことばっかり想っていましたよ。
今回の記事は、「伝えたい」そんな想いが強くて、書きながらも海が見えてました。
これからも、書きたいですね・・・。どうぞ、今後もよろしくお願いします。
美帆