後手から始まって、胸に縄をかける。首にも縄をかけて、股縄をして・・・。じゃあ、吊っちゃおう・・・。そのような流れの縛りって、心を入れるタイミングがあるのか疑問に思います。
杉浦先生とのプライベートの縛りでは、そんなマニュアルは存在していませんが、後手からの胸縄の流れは健在です。私は後手から始まる縄は、待っている感じが苦手です。だから後手縄からスタートするときは、受ける理由(主に罪人か拉致監禁か)を自分の中に立てるようにしています。そうしないと心のない縄になってしまいます。
この日は、偶然にも胸の前で腕をクロスした状態で縛ってくれました。杉浦先生に何か特別な考えがあったのかは分かりませんが、私の中に「こう縛られてみたい」って思いが出てきたので、縛られ方に要望を出してみました。会話をしながらの縛りは如何なものか・・・と感じていましたが、お互いの快感を探し、得るためにも発言することは悪いことではないと思うの。この縛りは誰々がやっていた・・・そんなものじゃなくて、二人で模索しながら辿り着く縛りを求めることは必要だと思う。
普段なら死へと向かう縄のイメージが多い私ですが、その回路を停止させ「この腕をクロスした形で、ここをこんな風に縛られたらどんな感じになるのだろう?」って思いを言ってみました。形としては不格好かもしれないけど、新たな拘束や更なる変形した縛りに繋がりました。本当に縛りのマニアが存在しているのならば、縛りの最中にこんな会話をしていることもあるんじゃないのかなぁ・・・って考えました。型にはまった縛りだけでは満足できないだろう、だからこそ「今はここを縛られたい、責められたい」って伝えることで二人の快感や興奮があるかもしれない。マニアって二人の切磋琢磨で高めていくことができるんだろうって思いました。
時には、こんな縛りも有りかと思いました。この文を書いている私の目の前には、拷問や刑罰などの歴史関係の本があります。もちろん勉強や今まで同様の縄の世界は続けますよ。縛りのマニアを夢見て縄を受けることも必要と勝手に考えました。
美帆