春原悠理さんは現在杉浦則夫緊縛桟敷で写真作品を元にした文章作品を担当して頂いてる方です。今回はその春原悠理さんの経歴等を踏まえて人物紹介をしていきます。
●経歴
1983年頃、友人の紹介でSMショーに出演する。(銀座の某キャバレーでのショーで、下着姿で簡単に縛られ、蝋燭を少量かけられるというとてもソフトでライトな内容。緊縛師は不明)その時に自分はSMに向いていると直感し、SM雑誌のモデルを始める。モデルとしての春原を初めて縛ったのは濡木痴夢男。以後、SM雑誌・SMビデオの仕事をする。縄好きなモデルの杉下なおみより緊美研(濡木痴夢男の緊縛美研究会)のモデルを依頼され、初参加から二年経過した頃にスタッフとなる。
たった一人残された今も、緊美研の代表。
●緊美研の説明
【緊縛美研究会は、カメラマン不二秋夫、緊縛美研究家濡木痴夢男、モデル嬢有志の協力のもとに1985年に発足した、緊縛マニアのための緊縛撮影会です。「通俗的エロチシズム表現を排除し、緊縛に特化した会」をスローガンに、参加人数は延べ3000人に及び、職業的モデルではない、ごく普通の社会人である女性が多く登場している点が特徴です。男性も女性も熱烈な縄愛好者であることが必須条件で、縄に特別な愛着を持たない人間はこの会には参加できません】
2000年から9年間の休止期間があり、2009年に再開するも、3回で再び休止。2009年までに165回の例会を開催し、現在は無期限活動休止中
●緊美研に関わった経歴
86年5月、第十八回緊縛美研究会に初参加。この時は東京都五日市にある旅館で一泊二日の撮影会でした。次の6月、7月と続けてモデルを依頼され、この年は12月までずっと参加していたと記憶しています。緊美研では遠方に住んでいたり、仕事で毎回は参加できない人のため、例会の様子をビデオに収録し、参加者に配布していました。それをある書店から商品化しないかと提案されたため、89年から本格的にビデオ制作を始めることになりました。それが「緊美研ビデオ」の始まりです。その時にスタッフとして迎えられ、事務や営業、モデルやスタジオ選びなどのコーディネート、出演と撮影など、あらゆることをしてきました。2000年からある理由で例会の開催を休止していましたが、2009年に再開し、3回の例会を行いました。しかしそれも再び休止となり、2013年に濡木痴夢男が死亡したとされているので、現在は無期限休止状態です。『Kを継ぐ者』が現れ、緊美研を復活させるときを虎視眈々と狙っています。
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